一定期間更新がないため広告を表示しています
- 2024.01.07 Sunday
- -
- -
- -
- -
- -
- by スポンサードリンク
暑い夏も終わりすがすがしい秋の訪れとなりました 台風が心配な時期ですね
今回は島根県太田市石見銀山の紹介です 岩国からは約150Kmと意外に近い世界遺産
中国道から浜田道へ瑞穂ICで降りて石見へ
石見銀山は1526年博多の豪商神谷寿貞が発見し周防の戦国名大内義興の協力を得て
発掘開発を行い後に灰吹法と言う新技術を取り入れ効率的に銀を精錬できるようになった
ここに目をつけいくつもの争いが生じることとなる
山口に大内氏あり安芸の国に毛利氏山陰に尼子氏ありと三大名が立ち上がるやがて出雲へと勢力を計る大内氏
しかし尼子の猛反撃にあい失敗に終わるも毛利氏と手を組み山陰の尼子を落とす
山陽に大内氏山陰 安芸に毛利氏あり
しかしやがてこの一帯が毛利氏の手に移ることとなっていき
中国地方に軍勢を差し向けた信長が地元で争う足利勢を追放し室町幕府が終わりとなる
尾張の織田信長の意志を継ぐ豊臣秀吉に西の天下統一の兆しが見えるて来ると
毛利氏は豊臣政権下の五大老の一員となる
しかしやがて関が原の戦いに西の総大将に担がれた毛利氏は徳川家康に敗れることとなる
やがて天下分け目の戦いで勝利した徳川家康が大久保長安を銀山奉行とし統治し
世界の1/3に相当する銀約20トンを産出していた
明の国ポルトガルやオランダなどと交易を果たし西日本では銀が流通貨幣となり商業の
発展の礎となった 1600年江戸時代から1700年初頭まで大盛況となっていった
しかしやがて深堀しなければ採掘できなくなっていき第二次長州戦争を境に徳川幕府は
銀山を放棄し長州藩の手に落ちることとなった 後に民間に払い下げとなり採掘を続けるがやがて閉山を迎える
当初は手彫りにて1日30センチしか掘れずその積み重ねで600mもの坑道が600箇所以上もあるとゆう
から驚きである この銀鉱石を掘る坑道のことを間歩(マブ)と言う
過去に世界遺産登録を申請するも落選となるも さまざまな分野の方々の努力の甲斐あって再申請となる
当時坑道の支えや生活に木材を使う一方で植樹をしていった 現在も青々とした森林を構築していることにより
古き時代から環境に配慮した銀山 環境汚染を訴え続ける現在にマッチし?やっとのことで世界遺産となった
山口県とはきっても切れないこのような深いつながりがあったとは::::
ちょっぴり歴史の勉強になりました
しっかり時間のある方は1200円でガイドをお願いし 徒歩にて約2.5時間くらいを要します(坑道ゾーン)
天気がよければ電動レンタサイクルと案内ガイド有線機(両方で800円 2時間使用可)を借りて
自由に観光もお勧めです 滞在時間は3から4時間くらいです 山口県と非常にゆかりのある世界遺産に
出かけてみませんか? ヨロシクメカドック